2019-01-10: 『来る』考察
やったこと
『来る』考察
色々とレビューサイトとかを巡ってみたのだけど、思った以上に評価が二分されていることに驚いた。特に、低評価の理由として「訳が分からなかった」という意見があったので、それについて考えてみたい。
いや、ぶっちゃけこういうのって不毛だしあんましやりたくないのだけど、腑に落ちない気持ちがあるのでやっておきたい。痛みから逃げてはならないのだ。
さて、一体なぜ「訳が分からなかった」のだろうか。感想の大半が「分からなかった」の一点張りで何も分からねえって気持ちになったのだけど、しばらく読んでいるうちに少しずつ見えてきたことがある。それは、確かに「来る」の脚本の中には回収されていない、というか放置しすぎている伏線があることだ。そして、これは考え方によっては物語の根幹をなすものでもある。それ故、これに悩むと全体が分からなくなってしまうのだろう。
回収されていない伏線というのは、最初の主人公、秀樹の過去の話だ。このシーンは度々形を変えて挿入される割に、これが一体何なのかは一度も説明されていない。
どうして説明されなかったのだろうか? これは単純に、脚本側としては当初これを、マクガフィンとして機能させるつもりだったからだろう。つまり、物語が始まるきっかけとして何となくあれば十分だし、その気になれば別のシーン(例えば大規模なお祓いの現場に偶然立ち会ってしまうとか?)でも代用できるつもりだったのだ。この「つもりだった」というのは重要なところだ。秀樹の過去はマクガフィンというには繰り返し参照されすぎだし、あまりに意味を持ち過ぎているし、作り手が見せたいものにとっても重要で、もはや代替可能では無くなっている。あの一件が秀樹の人格形成に大きく影響を与えているであろうことは想像に難くないし、そもそも(原作の設定が生きているなら)あれが田原家がぼぎわんに目を付けられた原因そのものなはずだし、琴子さんの話す虫と死の話にも関係が深すぎる。明らかに必要なシーンではあるけど、そのシーンが出てくる理由が説明されないから、物語の都合で追加されたみたいで締りが悪くなってるのが良くない、というわけだ。しかも、これが分からないことで田原家がぼぎわんに呪われる理由も分からないから、物語全体が分からない、となってしまう。
ただ、個人的な感覚としては田原家が呪われる理由はかなりどうでもいいところだと思うし、『来る』に高評価を下す人はこの部分を割り切っている節がある気がする。田原家が呪われたこと自体は重要じゃなくて、なぜそれが悪化して、その対処にどうしたらいいのかが重要だったのだから。例えるなら、風邪のウイルス自体は街を歩いていれば自然と口に入るものなのだけど、それが実際に発病するかは体調次第で、本当に重要なのは体調管理だということだ。それが伝わったかどうかでこの作品の評価は変わると思う――のだけど、残念なことにこの事が語られるよりも先に秀樹の過去のシーンは登場するため、そこで突っかかってしまうと先に進めない。これは『来る』の明らかに問題なところだ。
この辺は脚本でどうにかするしか無かったんじゃないかな、と思う反面、宣伝で恐怖を売りにしてしまったから、背景にある社会派な部分とかを軽視した見方を進めてしまったのではないかという気もする。恐怖を期待するなら、化け物が登場する理由に興味を持つのも当然だろう。
どこかのレビューで、中島監督の作品は人間の不条理で不快な部分を暴くように描いていて、それを許容できるか、笑い飛ばせるかで評価が変わると書いていた。恐らくそれは中島監督のこれまでの作品で言えば正しい。けれど『来る』に関してはそれ以前のところで評価が分かれているし、仮にその領域で評価したとしても低評価になることは少ないのではないかと思う。登場人物が全体的に不快感しか無いキャラというわけでもないので。
というわけで、結論としては、『来る』の評価が分かれる原因としてはあまりに重要(そう)な伏線を放置してしまったことと、宣伝の部分で恐怖を売りにしてしまって作品の持つ魅力が伝わりづらくなってしまったことがあると思う。
うーん、悔しいな‥‥。
crystal tool format
を書き直したやつ
https://github.com/crystal-lang/crystal/pull/7257
無事マージされた。疲れた‥‥。
ちょっと休みたい。